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JUNK-7   

音楽喫茶「かぐや姫」を閉め、ロック喫茶「JUNK」の準備を始めた頃だっただろうか、?ダクション関係の道を歩み始めたFが、我々の伊津部町のアジトにやって来て、名古屋のキャバレー「銀馬車」とかいう店に日本で一番上手なドラマーがいるんだけど行方不明になっているらしい、という様なことを言った。ダクション関係者が探しているらしい事も・・。「どうも奄美にいるらしいんだよ・・。」「なんで?」「釣りキチらしんだ!暇さえあれば日本全国何処へでも出かけていって釣りをするらしいんだよ!それが嵩じて移り住んだらしいよ!それに奄美の出身らしいや・・。」「名前は分かるのか?」「オオボというらしい・・。」「どういう字を書くんだい?!」「大きいって言う字と、保つという字らしい。」「タモツという一字の姓は知っているけど、大保という名は聞いたことが無いなぁ?」私は小学校4年生の頃までしか島には住んでいなかったので、知らなかったのである。数年前にヒョコッとその事を思い出した。私の釣りの師匠はフィッシング奄美の大保光年氏である。大物釣りの前日本記録保持者・釣りキチ・日本中釣り回っている人物・・・・。そして、ナ~ントッ名古屋のキャバレーでタイコを叩いていたらしい!・・。仲間の小林も島にいる時に世話になっていたらしい・・。これは運命の赤い糸ではないか!いや、白い糸・・・・やっぱり黒い糸だ!・・・。タイコはどうしたの?と尋ねると、邪魔だからと数年前に、ジルジャンのシンバル等全て一式数百万円分はごみ捨て場へ行ったとさ・・・ウウ~ンッ!もう少し早くに思い出していれば・・・・・。
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by haru359600 | 2008-05-30 20:32

JUNK-6   

そもそも、これから大ブレイクしそうな「JUNK」がどうして解散をしたのかというと、タイコの小林が「どうしてもビートルズの生まれ育った町リバプールへ行ってみたい」と言って計画を立てていたことを実行に移したからだ。横浜港からナホトカ港に行き、シベリア鉄道で大陸を横断しヨーロッパへ向かったのだ。酒のツマミにと、その話を聞き出すと彼の天性の話術の面白さもあって、3日3晩では語りつくせないでであろう。私のおぼつかない記憶によると、小学生時代にTV局か何かの劇団の子役をやっていたとか聞いたことがある。たしか弟君は沖縄で、TV局だかラジオ局だかのアナウンサーを一時期やっていたはずだ。そういうDNAが備わっているのだろう。小林と一緒に電車の中で仲間が普通にしゃべっていて、周りの乗客の人々が笑いを堪えきれずに吹き出したことも、2度や3度ではなかった。そんな面白いキャラなので、昨年東京へ就職した私の娘が、やれ忘年会、新年会、春はお花見会、夏は花火大会だと、仲間達の集まりにせっせと通って楽しんでいるようだ。カミサンは「ヘ~ンナ子!お父さんの友達と集まって飲み会をする娘なんて聞いたことが無いよ!。よくそんな集まりにいけるね!?。何がいいの?」と言うと「だって最~高に楽しいんだもの!」と、まだまだ通い続けるつもりらしく、カミサンはあきれ返っている。
  そんな小林も解散の時の話になると立場が無いらしく、その時ばかりはほんの一寸小さくなる。
そういえば、彼もイギリスから戻ってすぐは、どうも東京には住めそうもないとの事で奄美でタイコを叩いて2年程暮らしたことがある。現在の和光トンネル傍の伊津部町である。ご近所の皆様方には、不審者の出入りも頻繁で相当ご迷惑をおかけしました。お詫び申し上げます。
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by haru359600 | 2008-05-26 20:48

JUNK-5   

昨晩サッカー日本代表のニュースを探して、TVのチャンネルを回していたら、偶然にも富澤一誠氏がコマーシャルに出ていた。昔、富澤氏達が企画した長野のコンサートにJUNKと一緒に行った時、おそらく須坂の彼のご実家だと思うのですが、道路より一段低い場所にある、大きな旧家に泊めていただき、囲炉裏の傍で野沢菜とか白菜の漬物をツマミとして出してもらい、あまりのおいしさに一人でバケツ2杯位をたいらげてしまった事などを思い出しました。一宿一飯の恩義を受けながらも未だに何にも恩返しが出来ていません。どうか皆様に良い日々が訪れますように!。
  その時も、手持ちのお金は10円しかなく、新宿駅から長野へ向かい、帰りは大阪あたりへ出てそのまま奄美へ向かった覚えがあります。若い頃はお金なんか無くても何でも出来ました。小林とか、大阪の大将や、金太郎(森)等のヨーロッパ・東南アジア無銭旅行には負けますが・・・・。その件はそのうち・・・。
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by haru359600 | 2008-05-25 11:42

JUNK-4   

前出のオサム以前に島に魅せられて住み着いていた仲間がいる。コーイチ(千葉・松戸出身)である。ある春休みに私と二人で「ウギツミ」のアルバイトをした。当時は最近の様にトラックにはユニックなど付いてなかったので、サトウキビ畑の脇に束ねて積み上げられた「ウギ」(サトウキビ)の束を4トン車に8トン位づつ山と積み上げ、製糖工場に出荷する仕事である。「ウギ」をトラックの荷台の脇に柱の様に刺し、高く外に零れ落ちない様に、内側は隙間がないように切り刻んで詰め込み、一回のトン数を上げるのである。それを午前中2回、午後2回出した。三日目位までは、体がバラバラになるほど痛かった。バイトは12月の初め頃から1月の半ば頃まで続いた。その後コーイチは用に住んでいらした山本さんのお世話になった。山本さんは、指宿あたりの出の方で、ラサールを出て最初は教育大に進むも、イヤになって京大に行き直し、何故か用部落で山羊を飼い、バナナが商品としてコンスタントに出荷出来ないかを試みていた方で、後に笠利町の町議になられ、残念ながら早くに交通事故で亡くなられてしまいました。いつもにこやかで、笑顔の素敵なかたでした。「高倉」を住居として使用していたのも驚きで、かっこ良かったなぁ!。当時は激動の時代で、東大、京大、早大、法政とつぎつぎに学生運動でバリケード封鎖され、我々の上智も機動隊が突入し、学校はロックアウト状態という様な事があったりした。当時の若者は平穏無事ではない日常ばかりだった。そういう世界からコーイチは、朝は早くから山羊のエサになるイモづるや草を刈り、肥やしを運び、昼は目の前の海に潜る、という様な暮らしで、2年程を過ごしたハズである。
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by haru359600 | 2008-05-23 20:43

JUNK-3   

そもそも何でロック喫茶「JUNK」を営業することになったかというと、塩浜町にあった音楽喫茶「かぐや姫」をやってたオサム(金森 理・鎌倉出身)が東京に帰るというので、閉店片付けの手伝いにやって来た小松が、急に自分でやりたいと言い出したからだ。オサムといえば、鎌倉の海の近くに実家があって、気の合う仲間2~3名が海水浴に招待されたことがあった。でも私は「こんなところじゃ泳げないヨ!」とか言って砂浜で座って待っていたらしい。人の好意を無にして、40年前は全く人間が出来てなかったらしい。私のカミサンに言わせると、親が湘南に海水浴に連れて行ってくれると言った時には、夜も眠れない位に嬉しかったらしい。東京に住む人々には名所であったようだ。オサムも自慢げにさそったのに頭にきたようでした。後日こう言いました「実はズーッと根に持っていたんだけど、奄美に来て、やっと納得したよ!こんなに透明で、きれいな海でいつも泳いでいたのだったら、江ノ島なんかじゃ入ることもできないわな?」
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by haru359600 | 2008-05-21 08:16

JUNK-2   

JUNKは奄美の名瀬でも合宿やコンサートをやった事がありました。当時㈱セントラル楽器さんにはお世話になりました。特に担当の高良さん(現在サウンズ・パル社長)にはお骨折りいただき、ありがとうございました。JUNKの3人を含め私の仲間達は奄美大好き人間ばかりです。ベースの濱口には少しばかりトラウマがあるかもしれませんが・・。というのも、奄美滞在中に、前回登場の現在某ダクション社長のFの運転するカブ号に二人乗りし、大声を張り上げて屋仁川通りを上へ下へと楽しんでいたら、誰かに通報されてパトカーに追いかけられ、命からがら飛び下りて逃げきったそうな。Fは連行されて、無免許・下駄履き・二人乗り・飲酒・制限速度違反でお縄に・・。当時私は東京にいたので、「ジーンズショップM」のオヤジさんにお願いして身元引受人になってもらい、やっとFはシャバへ戻れたという様なことがありました。Mのオヤジさんにもお世話になり、ありがとうございました。でした!
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by haru359600 | 2008-05-19 20:47

JUNK   

「JUNK(ジャンク)]とは1974年頃に名瀬市末広町のビルの二階にあった、私と仲間の小松(茨城土浦出身)がやってたロック喫茶の名前である。クズとかガラクタという意味であるが、小松(Guitar)と小林(横浜出身Drams)、濱口(東京中野出身Base)のバンド名に由来する。
 たしか、音楽評論家の富澤一誠氏の何かの本に一、二行「幻のJUNK」として載っていたことを憶えている。現在、ダクションの社長をやっている藤本氏(法政)と富澤氏(東大)等が当時学生達だけで「What Music」という音楽企画グループを立ち上げ、各大学の学園祭でロックコンサートをやっていた時、JUNKが前座として演奏し、各メーンを喰ってしまって大ブレーク寸前であった。
 私はロードマネージャーという名目でいつも一緒であったのだが、関東学院での出来事が象徴的であった。いつものように前座のJUNKの演奏が始まると、まばらであった大講堂が、あちこちから人が集まってきてあふれこぼれ、外まで大勢が取り囲んでノリノリであった。すると途中で演奏を止められてしまったのだ。プロの〇〇〇〇というバンドが「次ぎのコンサートが控えていて時間がないので、もう俺達にやらせろ!」というのである。一応メーンは彼らなので、しぶしぶ演奏を終えた。さて、彼らはやる気マンマンで演奏を始めたのだが、人々は潮が引くようにいなくなり、大講堂はガラガラになってしまった。
 もう一つの出来事は女子美の野外コンサートである。ノリノリのところへ雨が降り出したのだが、学園祭の実行委員がコンパネを傘代わりに頭上にかざしてくれて、続行した。ところが益々ひどくなり土砂降りになって、感電が心配なので止めると言うと、「ヤレーヤレーッ!」「ツヅケローッ!」「こんなん位で止めるんじゃネーヨッ!!」勿論殆んどが女性である。恐るべし女子美!
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by haru359600 | 2008-05-18 11:25

未確認飛行物体(UFO)   

奄美では40年も前からUFOが頻繁に飛来しているらしく、あちらこちらで見た話を聞く。だが、私は未だにUFOらしき物を見たことが無いのだ。ただ、50数年前に拝み山の山頂スレスレに、長い棒の様な物が黄金色の長い尾をひいて、南の方から北の方角へ飛んでいるのを見た事があるだけである。1952~3年頃の事なので、おそらく人工衛星もまだ飛んではいないので、流星の屑だったのだろうか?去年は仕事仲間のヤミ姉(ネー)が春日町の上空からループ橋方面へ飛んで行った、オレンジいろの球体が七色の光を放つのを目撃しています。
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この写真は名瀬湾で沖の小島は立神だそうです。磁場の関係でUFOがハッキリ写ることはないそうですが、これは珍しく良く写っています。山羊島の方からの撮影だそうです。(この写真はI先輩からコピーして頂いたものです。奄美の宣伝の為に使用させて頂いてます。先輩!ご了承下さい。)
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by haru359600 | 2008-05-09 18:18