そもそも、これから大ブレイクしそうな「JUNK」がどうして解散をしたのかというと、タイコの小林が「どうしてもビートルズの生まれ育った町リバプールへ行ってみたい」と言って計画を立てていたことを実行に移したからだ。横浜港からナホトカ港に行き、シベリア鉄道で大陸を横断しヨーロッパへ向かったのだ。酒のツマミにと、その話を聞き出すと彼の天性の話術の面白さもあって、3日3晩では語りつくせないでであろう。私のおぼつかない記憶によると、小学生時代にTV局か何かの劇団の子役をやっていたとか聞いたことがある。たしか弟君は沖縄で、TV局だかラジオ局だかのアナウンサーを一時期やっていたはずだ。そういうDNAが備わっているのだろう。小林と一緒に電車の中で仲間が普通にしゃべっていて、周りの乗客の人々が笑いを堪えきれずに吹き出したことも、2度や3度ではなかった。そんな面白いキャラなので、昨年東京へ就職した私の娘が、やれ忘年会、新年会、春はお花見会、夏は花火大会だと、仲間達の集まりにせっせと通って楽しんでいるようだ。カミサンは「ヘ~ンナ子!お父さんの友達と集まって飲み会をする娘なんて聞いたことが無いよ!。よくそんな集まりにいけるね!?。何がいいの?」と言うと「だって最~高に楽しいんだもの!」と、まだまだ通い続けるつもりらしく、カミサンはあきれ返っている。
そんな小林も解散の時の話になると立場が無いらしく、その時ばかりはほんの一寸小さくなる。
そういえば、彼もイギリスから戻ってすぐは、どうも東京には住めそうもないとの事で奄美でタイコを叩いて2年程暮らしたことがある。現在の和光トンネル傍の伊津部町である。ご近所の皆様方には、不審者の出入りも頻繁で相当ご迷惑をおかけしました。お詫び申し上げます。